人生の終わりに


往年の名スターで西部劇の王者といわれたジョン・ウェイン氏は、がんであることを知り、「俺はがんをやっつけてやるぞ」と積極的にがんに立ち向かい、自ら進んで新しい治療法の実験台を買って出た。最期に地球上からこんな苦しい病気を撲滅しなければとがん基金創設に情熱を燃やし、壮絶にがんと闘いながら亡くなり、「さすが西部劇の王者」とみんなから賞賛された。

 一方、日本のタフガイ、石原裕次郎氏はがんであることを知らされず、最期は何となく寂しい死であったように思われる。

 最近になって兄の石原慎太郎・東京都知事、妻のまき子さん、友人たちみんなが「やっぱり、がんを告知してもっと好きなことをさせてやりたかった」と言っている。広い心を持ち、大変勇敢であった裕次郎氏なら、最後に大好きな映画を製作し、後世に残る大仕事をやってのけたに違いない。

  

 患者や家族がどのように死に向かい合うかは、われわれ医療者側がはっきりとした死生観を持ち、もっと勇気を持って粘り強くがん告知を説得し、お互いに心を通わせ、悔いが残らないよう励まし支え合うことが大切である。

 最近は日本でも、ホスピスがあちこちに作られ、感動ある死、心に残る死に接する機会が多くなっているのは素晴らしいことである。

人の痛み・動物の痛み


動物が病気になり、体のどこかに苦痛を感じている場合、正常なときに比べて毛づやが悪いとか目が潤んで力がないとか、耳が垂れているなどの変化が現れる。

 

 チンパンジーは頭が痛いときは頭を抱え、馬はお腹が痛くなると自分のお腹を蹴ったり地面を転げまわったりする。また、動物のがんや出産はあまり痛まないといわれている。

 

 これに比べて人間は「ことば」を持っているため、「ことば」のやりとりでどこが悪いか、どこに痛みがあるかを伝えることができる。

 しかし同じ「痛い」という表現も、がん患者の衰えゆく心身に対する不安や、死に対する恐怖感や、独居のお年寄りが周りに疎外されている不満、子供の母親に対する甘えなど痛みの内容はさまざまである。

 また、出産の痛みのように痛いものだという先入観が痛みを増幅している場合もある。

 痛みに対する処置も、投薬で治るものもあれば手術が必要なものもある。また、薬が効かない痛みでも、話を聞いてあげたり背中をさすってあげるだけで消えてしまうものもある。

 人の痛みを治療するものとして、全身の表情や表現を見て「痛み」を診断する能力と、「痛い」という言葉をコミュニケーションによって分析する能力、この両方の能力を兼ね備える必要を私は毎日痛感している。

ベスト・コンディション


厚生労働省の発表によると、平成14年度に過労死と認定された人が160人に達し、前年度を102人上回る過去最多となった。

 高血圧や心臓病などの持病に長時間労働というストレッサーが加わって、体に変調をきたし死に至ることを「過労死」と呼んでいるが、背景には、環境破壊、続発する凶悪犯罪、深刻化する不況そのほか、さまざまな社会不安がある。

 しかし、それとは別に、私たちにとって大切な健康を守るということが忘れられ、おろそかになっている点が一番問題である。

 「過労」は文字通り働き過ぎのことであるが、体をしっかり管理して心身ともに鍛え、良いコンディションを保っている人は、少々過酷な状況が続いても病気になることはない。

 プロ野球において、故障者の多いチームは成績が悪く、選手のコンディショニングの上手下手がチーム成績に関係している。

 それと同じことで、企業も、社員が良いコンディションで仕事に取り組んでいるところは成長するはずである。体力のない人が仕事を長時間続けると集中力が途切れて能率が悪くなるのは当然で、過労になるような状況で仕事をすることに対しては、仕事効率の面からも工夫する必要がある。

 そのためにも、食生活、運動、ストレス管理など、人のコンディショニングをサポートする人材の養成を急がなければ、現在のストレス社会を乗り切ることは不可能であろう。

医療のコンピューター化


医療界にもコンピューターが広く導入され、次第に医療はシステム化されつつある。しかし、医療情報は個人差が大きく、十人十色といってもおかしくないため、システム化にはいくつかの問題がある。

 もちろん、勘や経験に頼っていたものをシステム化することは単純労働を少なくし、合理化されるというメリットも大きい。だが、病気のほとんどが生活習慣病に変わってきた今日、患者の疑問や不安に答えながら、相手に合わせて適切な指導やさまざまなやりとりを、あらかじめプログラムされたもので行うことは不可能である。

 どんなに優れた医療技術があっても、医療スタッフと患者の人間関係が良好でなければ、医療は成り立たない。医療情報が氾濫している現在、それぞれの患者個人に本当に適合した情報がどれだけ伝えられ、それがどのように消化されるかが大切なことである。

 病気を早く治して、しかも同じ病気を再発させないためには、医療は機械化するには非常に困難な領域である。

 コンピューターを利用することで技術面を強化し、患者に接する部分では人間関係に優秀な人材を配し、病気に対するさまざまな知識や情報を患者個人に合わせて伝えられるようにしなければならない。

 ともすれば省力化、合理化の発想が先行してシステム化が進められているが、医療財源が破綻しつつある今日、病気を早く治して再発しないようにするためには、いかに機能面をカバーする人材を育成するかにかかっている。

医療の質


医療の質の要素には、「技術的なもの」と「人間関係的なもの」の二つがある。

 病気を早く治すためには、単なる医療技術だけではなく、看護師およびその家族との人間関係が大切であり、医療提供者である医師、看護師などと患者とのコミュニケーションが十分取れなければならない。

 それがなければ、どんなに優れた医療技術を駆使しても病気を本当に治すことができない。たとえ病状が治っても、いずれ再発し、さらに悪い状況に陥ることになる。

 病気は持って生まれた体質と生活習慣が複雑に絡み合って発症する。病気を根本的に治すためには、医療提供者は患者やその家族と十分なコミュニケーションを取り、病気に関する知識や情報を提供し、一緒になって病気と闘い克服する体制を作らなければ、病気を根本的に治すことはできない。

 患者さんの求める医療サービスをより効果的、効率的に提供するためには、医師や看護師など医療スタッフのマナーを向上させ、よい雰囲気を作ることが、医療技術のレベルアップと同等に重要である。この二つの要素がそろったところに真に質の高い医療が存在する。

 医療財源が枯渇している今日、真に質の高い医療を実現しなければ医療界の発展は望めない。そのためには、医学教育のカリキュラムの中で、コミュニケーションの取り方などの時間をもっと多くしなければならない。

医学教育


大学医学部は、内科、外科、などの「臨床医学」、解剖学、生理学などの「基礎医学」、そして衛生学などの「社会医学」と、三つの分野に分かれている。そして、それぞれの分野で医学に関する研究、教育、診療が行われている。

 中でも、社会医学は一般にはあまり聞き慣れない分野ではあるが、病気の発生や予防についての研究、環境と病気のかかわりやストレスに関する研究などが行われている。日本人の疾病構造の中で生活習慣病が大半を占めるようになっている今日、非常に大切な分野となっている。

 外国で新型肺炎(SARS)という新しい感染症が猛威を振るい、いつ、日本に上陸してくるかわからなくなっていること、また若者の自殺が死亡率の上位を占めるなど、現在文明社会のゆがんだ構造の中から発生している疾病は、年々かたちを変えて私たちを襲っている。

 このような時代に医学教育がどのような役割を果たせばよいか。臨床医学で診療の技術を磨くことも大切であるが、従来の教育のほかに病気が発症する背景となる社会環境を十分理解するため一般常識を身につけたり、人の心を思いやる優しい心と高い人格を形成する教育が必要であり、社会の仕組みに目を向けられる幅広い視野を持った医師を育てることが急務となっている。

看護師の役割


かつての医療は病気を治すことが主な仕事であったが、最近は元気な人にもっと元気になれるように指導をしたり、治らない病気になった人が残された人生を充実させるために、種々のサポートをすることも大きな使命となっている。

そして、訪問看護、ホスピスケアなどでは、現実に病気を治す従来の医師中心の医療から脱皮して自立した看護師の姿が見られ、その活躍には目を見張るものがある。

訪問看護では、決められた一定時間内に豊富な知識と経験を基に患者と家族にアドバイスや処置を行い、不安や悩みを取り除き、ほかのいろいろなニーズに対処する能力が求められる。

ホスピスケアでは、死に直面した患者とその家族を支えるため、さまざま症状をコントロールする高度な技術、苦痛や苦悩を分かち合う忍耐力などを求められる。

今までの治療医学の中では、どちらかと言えば医師の指示の下で仕事を遂行してきたナースにとって、国家資格に甘んじることなく患者や家族など看護を受ける側から求められ、選択されるナースにならなければならない時代になっている。

また、患者やその家族に将来、高齢化するにつれて予測される病気に対する情報を提供し、元気で長生きできるようサポートする仕事も大切である。

少子高齢化が進む中、今後、看護師が全人的な医療の中でより中心的な役割を果たせるように人格を磨き、努力することを願っている。

ドロドロ血液


これから夏場になると汗で失われる水分が多く、私たちの血液は濃縮されてドロドロになり、怖いといわれる心筋梗塞や脳梗塞などの重大な病気になりやすくなる。

また、ストレスによるイライラは、たばこ、アルコール、甘いものなどを口にする機会を多くさせるが、たばこのニコチンやアルコールは利尿作用が強く、尿として失われる水分が多くなり、やはり血液濃縮が起こる。

特にたばこには血管収縮作用も強く危険である。そして、アルコールや甘いものはカロリーが高く、運動不足になるとやはり血液はドロドロになる。そのほかに風邪などで高熱を出したり、寝ている間や入浴中にも、発汗で水分が失われ血液は濃縮される。

最近よく聞くエコノミークラス症候群は、飛行機内の湿度が低く、乾燥状態にあるため、体の水分が失われ、脱水状態で血液がドロドロになる。そして、長時間同じ姿勢で座っていることから血液の流れが悪くなり、足に血栓ができて起こる病気である。

いずれにしても、血液が濃縮されると血管が古くなったり詰まったりするのは当然のことで、これを予防するには、毎日、定期的に水分を補給する以外に方法はない。

人間の身体は65%が水分からできているため、最低でも一日2リットル程度の水を飲む必要がある。水も、買って飲まなければならない時代になっているが、使い方次第で一番効く薬になる。

心の痛み


ペインクリニックを訪れる患者の中には長い間、頭や背中の痛みで苦しみ、あちこちの病院を転々といている人がいる。このような患者に共通しているのは、見かけは普通の頭痛であったり、腰痛であるが、原因は心因的なものであるということである。

体の痛みは現在のペインクリニックの技術で治すことはできるが、心の痛みは医師の高度な技術だけで治すには無理がある。

例えば、「霊がついているのではないだろうか」とか「過去の因縁ではないのか」といったことを思っている人が、家庭や会社での人間関係に悩んだりすると、体のどこかに痛みが現れることがある。このような心の問題が絡んだ痛みは、なかなか医師では充分な対応ができず、頑固な痛みとなってしまい、医師を渡り歩くことになる。

このような痛みに対しては、医師よりもカウンセラーが対応することが望ましい。ゆっくりと時間をかけて過去の出来事について話してもらうことである。

そして、痛みと心の関係について充分説明し、身体的には何も異常がなくても、心の悩みがこのような頑固な痛みになっていることがはっきり理解できれば、あとはリラックス法を修得したり、運動療法によって、人並み以上の体力をつけることにより、何年間にもわたる頑固な痛みから解放されることになる。

医療の役割


「外来患者の病状が回復していると感じるのはどのようなときか」という調査において、実際の身体的な病状評価よりも、患者と医師との関係の善し悪しが患者の主観に大きな影響をもつということがわかっている。

先日、外来に来た若い男性患者は腰痛を訴えていた。検査結果と病状が一致しないためカウンセリングを行なってみると、なかなか友人を作ることができないことや職場での人間関係に悩む患者の姿が見えてきた。

面談の中で患者は、親に対する不満や上司に対する不満から「僕を認めてくれて指導できるような大人と出会ってみたかった。先生を父親のように思います。」と話した。

おそらく彼は求めている親像を周囲に見出そうとしていたのであろう。こうした問題点への気付きが、その後の病状軽減へとつながった。

このように、患者の求める多様なニーズに応えることが、治療の大きな第一歩となる場合がある。

複雑化する現代社会を生きる人に、病気の背景にあるストレスを克服する術を見つけ出し支援するのも医療の大切な役割である。

そして、医療を通して患者と医師がお互いに人間的な成長を体験することができれば、医療の果たす役割も一層意味深い。

従来の治療だけではなく人間性を豊かにする経験を提供できれば、医療の社会的貢献はさらに大きくなる。