体力と国家


196012月、アメリカの第35代大統領ジョン・F・ケネディーが「柔弱なアメリカ人」と題する演説の中で「・・・体力は、社会の諸活動の基礎である。・・・レジャーと豊かさの時代はわれわれから活力と体力を奪う」と述べた。

 朝鮮戦争やベトナム戦争でアメリカ人兵士が、他国の兵士より体力や精神力で劣っていたことなども含め、危機感から国民に対して「国としてわれわれの充分な可能性を実現することができなくなる」と強調。体力づくり運動を国家の方針とし、忙しい中、大統領自ら率先してジョギングに励み、国民に健康の大切さを訴えた。

 一方、日本は1972年、労働安全衛生法を制定。労働力人口の急速な高齢化や技術革新の進展といった社会情勢の変化の中、働く人々の安全と健康確保が始まった。

 1988年には国民の心と体の健康づくり(トータル・ヘルス・プロモーション・プラン)が始まり、その後、活力ある社会を実現して健康寿命を延ばし、生活の質を向上させるため「21世紀における国民健康づくり運動」(健康日本21)が展開されている。

 本格的な少子高齢化社会を迎え、今日の低迷している日本を効率的で活力ある国にしていくため、「健康づくり」を国家の最重要課題とし、全国民一丸となって取り組まなければならない。

健康補助食品


食生活が私たちの健康維持・増進に大きな影響を与えるということは誰もが知っていることである。しかし、日常生活の中で規則正しく食事を取って、栄養バランスを保つことは非常に難しい。最近、きちんとした食生活ができていない人の中では、健康補助食品(ダイエタリー・サプリメント)の利用が増加している。

 米国では1975年に「栄養成分表示制度」が定められ、いわゆる「健康食品」に対し、一定の表示基準が定められた。しかし、日本では最近になって、やっと「保健機能食品制度」が施行され、私たちがサプリメントを選択できる基準づくりが始まったが、まだまだサプリメントを選択する際の情報が不足している。

 自分の健康状態を考えて、何が不足して、何が過剰になっているのかなど、病院でチェックして総合的に判断する必要があるが、日本の医療関係者(医師、看護師、薬剤師、栄養士など)は健康食品に対する教育が不十分で、相談を受けても充分な対応ができていない。

 誇大広告を見たり、知人に勧められたりして利用して利用している現状では、不適切な摂取方法により、かえって健康を損なう恐れがある。今後、日本においてサプリメントが理解され、健康維持増進に充分活用されるためには、まず医療従事者が科学的根拠に基づいた情報提供ができるように充分な知識を修得し、適切な指導ができる専門家を養成しなければならない。

脊柱管狭窄症


中年以降に多い病気の一つに脊柱管狭窄(さく)症と呼ばれるものがある。これは、長時間歩行したり、坂道を登った後、腰部から臀(でん)部、下肢にかけて軽い痛みやしびれを起こし、前かがみやしゃがんだ姿勢で痛みやしびれが軽減する。症状が進行すると、2030m歩くと下肢がしびれて痛くなり、一服しないと歩けなくなる。

 脊椎管狭窄症は椎間板ヘルニアが起こり、その結果、長い間に骨と骨との間が狭くなったり、脊椎すべり症などから起こる場合が多い。治療は保存的には姿勢矯正のための筋肉強化、硬膜外ブロックなどの神経ブロック、血流改善剤の投与などがあるが、治療にもかかわらず除々に悪化して、痛くて歩けなくなったり、日常動作が不便になった場合には、外科的な手術をして脊柱管を広げる必要がある。

 手術によって完全に痛みがなくなり、機能が回復して、元のように歩行ができるようになるかは人によって異なるが、症状がさらに悪化して歩けなくなるようなことは防止できる。

 脊椎は人によって形が異なるため、二十歳ころに脊柱の形をチェックし、バランスの悪い人は脊柱の周りの筋力を強化して、できるだけ椎間板にかかる負担を軽くすることが大切。椎間板を若く保つことが立位で生活している我々にとっては一番重要である。

遺伝子と寿命


講演会で生活習慣病の話をする機会が度々あります。その折「煙草も吸うし、酒も飲み、不規則な生活をしているが、80歳の今日まで何も大きな病気もしなかった。こんなに健康で長生きしてこられたのはどういうことか。」といった質問がよくある。

 これに対して私は「それは、丈夫な身体をもらったことに対してご両親に感謝してください。そんなに良い身体をもらっているのだから、若いころからもっと身体を大切にしていたら150歳くらいまで生きられるでしょうに。残念ですね。」と答え、会場の笑いを誘っている。

 我々の遺伝子にプログラムされているのは、「死ぬためのシステム」ではなく「生きるためのシステム」であるから、大切に使ってよく手入れをすれば長持ちさせる事ができるようになっている。自動車は手入れをしながら使うと長持ちするのと同じように、人の身体もうまく鍛えて使えば性能もよくなり、もっと長持ちさせることができるし、故障も少なくなる。

 寿命は生まれつきプログラムされているのではないから不摂生をして長生きできる人は少なく、どのような生活を選ぶかによって、大きく寿命が変わってくる。平均寿命が世界一になっている今日、元気で長生きできるよう、自分自身で気をつけなければならない。上手く使えば長持ちさせる楽しみがある半面、長持ちさせる責任と義務は自分自身にあることを自覚しなくてはならない。

年の初めに


ある月刊誌によると、人の生き方には「がんばる派」と「がんばらない派」の二通りがあるらしい。がんばる派は失敗を恐れず、何事も前向きにとらえて挑戦しながら自分を鍛え、強く生きる人。一方、がんばらない派は自分の人生を大切にして、マイペースで丁寧に生きるということである。

 しかし、はっきりとした生き方を二つに分けてしまうのは良くない。人生においては、若いころに45年は眠る時間も惜しんで死に物狂いでがんばる期間も必要だし、人生節目、節目でがんばって力をつけて生きた方が楽である。

 また、高いハードルを一つ一つ着実に超える習慣を身につけなければならない。一日二十四時間のなかでも体を鍛える時間や、また反対にリラックスして遊ぶ時間も必要である。仕事ばかりして、疲れて眠るような生活をしている人は病気になっている場合が多い。

 丁寧に生きるのも良いが、適当にのんびりと生きられるほど人生は甘くない。濃淡をつけて生きることで、生涯を通して苦しみを少なくすることができ、また感動することも多くなる。

 教育荒廃、政治不信、少子高齢化社会など日本全体が、”文明病”に侵されている今日、今年一年体力と気力を充実させて、前向きに全員「がんばる派」になって、何か明かりをつかみたいものだ。

セルフヘルプ


同じ困難な状況や病気を抱えている人たちが、お互いの心理社会的支援を目指す集いが、各地で増えつつある。これらは、自助グループやセルフヘルプまた、ピアカウンセリングといった形で呼ばれている場合が多い。

 もともと、1970年代の米国において、アルコール依存患者達がお互いの悩みや情報交換のために開いた集いが始まりであった。

 集いでは、かつて同じ症状で悩み克服した体験談の共有や、今現在、治療やリハビリを受けているつらさをお互い語り合う癒しの場として各地での活動に広まった。

 日本には1980年代初めに紹介され、その支援効果が期待されている。活動分野としては、先に挙げたアルコール依存症の問題を抱える患者同士やその家族同士の集い、悪性腫瘍の患者同士、また事件や事故で近親者を失った遺族の集いと幅広く活動が展開されている。

 このような会は、心理臨床の専門家が運営するのではなく、出席者が持つ資格は「同じ経験をかつてした」または「今現在同じ経験をしている」当事者という肩書きである。当事者たちの必要とすることは、学識上の理解ではなく、共通の問題を抱え、体験を通してしか分からない深い共感や気持ちに寄り添う態度を欲しているということだ。

 心理的な苦しみを伴う体験には、当事者が感じる強い不安や孤独がある。経験者が経験者を支えあう活動が、今後ますます期待される。

日本は今


ノーベル賞ダブル受賞や大リーグでの大活躍など、日本人の優秀さは世界に誇れるものがあるが、最近の日本の低迷はいかがなものだろうか。これは、個々の日本人も日本社会も病気になり、元気がなくなっているということだ。

 このような時代には発想の転換が必要で、ともすれば沈みがちな気分を明るく希望のあるものに変えなければならない。そのためにはまず健康が大切である。

 不健康な体からは自己中心的で悲観的な考えしか生まれない。健康で生き生きとした体からは前向きで、思いやりのある楽しい発想が生まれるものである。

 大昔は人も野生動物のように力強く原野を走り回り、犬のような鋭い嗅覚をもち、オーストラリア原住民アボリジニのようにテレパシーで遠くの人と話ができるほどの聴力があり、もっと感性豊かな生活をしていた。

 そして文明の発達とともに、人口甘味料に慣らされ感覚が鈍り、冷暖房が当たり前になって体温調節機能が鈍り、病気になりやすくなっている。文明がどんどん人間を弱くしている。

 文明の発達とともに人間本来の元気さと鋭い感覚が失われたのが、今の日本人の姿ではなかろうか。初心に返ってもう一度元気になるために、一人一人が体を鍛え、心を明るく、強くもって、前向きに前進しなければならない。

自己責任


私たち医療人は、背骨や膝のX線写真から体型や骨の老化度を知り、また血液検査の結果などから、今まで通りの生活を続ければ、将来10年後、20年後に体のどの部分に痛みが出て、どのような病気になりやすいかを知ることができる。

実際、癌や心臓病、脳卒中、頑固な神経痛などとたたかっている患者さんを毎日見ていると、自分自身の将来の姿が目に浮かび、恐怖感さえ覚える。それに対して、運動で体力をつけたり、食事に気をつけたり、ストレスを溜めないよう努力をするか、病気になるのを覚悟で今まで通りの生活をするかの二者択一を迫られる。

 しかし、骨のレントゲン写真や血液検査の結果を知らされていても、これが何年後にどのような姿になるかを毎日、目前にしていない人は自分の生活を変えることができない。治らない病気になって初めて、自分の不摂生を後悔し、苦い思いをするのが常である。

 人は必ず老い、病気になり、やがて死を迎えるということを忘れず、できるだけ元気に老い、安らかな死を迎えるため、毎日少しずつ健康を維持増進するための努力をすべきである。

 忙しいから、暑いから、寒いからといって運動をしない人は、将来起こる病気に対して覚悟をしなければならない。タバコを吸うときも、その責任は自分で取る覚悟をしておかなければならない。

 そして、医療人は健康を維持増進するための手助けができるよう努めなくてはならない。

自然と癒し


ガーデニングがブームになり久しいが、最近オフィスの机の上で観賞用の苔を育てたり、ミニ盆栽を作って楽しんでいる人が多い。これは、植物を育てることにより、生命を育む喜び、達成感を感じる楽しみと同時に、芽や葉が出てくるのを見て、心を癒されるということに意味がある。

自然の美しさに感動し、自然の神秘に関心を持つということは、人間の力が及ばない、無力な世界への関心である。人間が絶対的な力を持ち、何事も解決できるような錯覚を持たせる現代社会で生活していると、自力で何とかできない困難を前に私たちは強いストレスを感じる。

こうして無力感を感じる私たちに、自然は、やさしく人間の限界を気付かせる。そして少しの時間を利用して植物に水を与えたり、形を整えたりすることが気分転換になり、心に余裕を生む。

たいていの病気は心身の疲れが原因で起きるため、このような少しの余裕が心身の疲れを癒し、病気の予防にもなる。また、医師や看護師など医療スタッフは、植物を育てることにより患者やその家族の苦しみを受け止める心のゆとりができる。

ともすれば肉体面の苦痛にしか目を向けていないといわれる現代医療を、心の癒しや微妙な感情の動きに対応できる全人的な医療に目を向けてゆける。医療者が自然に触れることは、ケアをする人のケアになるであろう。

ケアする人へのケア


細分化される専門分野や医療制度の見直しなど目まぐるしく変化する医療事情において、最近注目を集めている分野が「ケアする人のケア」である。

全国の高速道路開通に伴い多発する交通事故のため、救命救急医療の充実が叫ばれてきた。また高いガンの死亡率から、終末期を過ごすホスピス施設も近年増えつつある。

では、これらの分野で働く人々へのケアはどうであろうか。救命救急に従事する医師や看護師は、毎日鳴りやむ事を知らない救急車のサイレン音とともに運び込まれる、生死をさまよう人々をケアする。一秒を争い行われる高度医療はもちろん、家族を含めた密な人間関係をケアすることになる。

またホスピスでは、身体的なケアにとどまらず、病名告知の問題や死に対する恐怖などの精神的ケアを行う。これらの専門分野に勤務する医師や看護師は、常にストレスの多い状況でケアを行う。「ケアする人のケア」は、個人での旅行や趣味といったストレス対処法にとどまらず、各医療現場で行われる組織としての専門的なストレス対処法を意味する。そして医療従事者だけでなく、患者に付き添いケアをする家族に対しても必要であろう。

具体的には、心理専門家が中心となり、絵画や短歌を用いる様々な自己表現プログラムを通して、ストレスを内に溜め込まず、外に対して排出していけるように支援するものである。今後さらなるケアの充実のためにも、ストレスの多い医療現場におけるバーンアウト(燃え尽き)や、スタッフの低い定着率に歯止めをかける効果が期待される。