K.S.さんの闘病記

平成23年1月に腰が痛くなり、暫くして左足が痛み始めましたが、悪化しなかったので放置していました。 3ヶ月程経過し再び腰痛になり、A整形外科医院にかかりました。 A医師には筋肉のバランスが悪いだけと言われたので、3ヵ月間電気治療をしましたが良くならない為、別のB整形外科医院にかわり、そこでは腰椎椎間板ヘルニアと診断されました。 B整形外科も電気治療が中心で、腰痛体操のパンフレットを渡され、1日数回しておいてと軽く言われ、特に指導もありませんでした。 しかし、一向に良くならずにむしろ症状は悪化をしていく一方でした。 B医師には、大きいヘルニアの場合は直ぐには症状はよくならない為、手術を勧められました。 その後、C市民病院の整形外科の医師にも相談しましたが、5回ブロック注射をしてよくならなければ手術という答えでした。

そうしているうちに日常生活に支障が生じ始めたので、かかりつけの内科医の紹介で、大学病院の麻酔科にかかりましたが、B医師には”ブロック注射での治療はステロイド剤による癒着で手術が難しくなる”と言われ、右往左往したように思います。 大学病院では、腰痛体操は禁止、家の拭き掃除すら止める様に言われ、家事、仕事、子育て、これからどうしたら良いのかと途方に暮れたのを覚えています。

結局、大学病院の麻酔科の治療を受けることにしましたが、痛みは楽にならず(腰部硬膜外ブロック注射は5回までしかしてもらえず、その後は仙骨ブロック注射に変わりました)それから間もなく歩行できない程の痛みに襲われ、寝たきりとなりました。

やむを得ず、麻酔科での治療(経皮的髄核摘出手術、高周波熱凝法、3週間硬膜外に麻酔を流し込む)をする為に入院手続きを済ませましたが、麻酔科での手術を回避できないかと思い、医師探しを始め、知り合いの紹介で喜多先生に辿り着きました。 喜多先生には”腹式呼吸で、腹横筋を鍛えないと、手術しても、再発する”と、今までかかった先生方からは聞いたことのないことを言われました。実際、痛みで歩けなかった時に腹式呼吸時にへこませる下腹に力を入れると、2,3歩歩くことができたので、これだと思いました。

喜多先生にお世話になり始めた頃は、痛みはピークで夜も眠れず食事もあまり摂れていませんでした。 また”下肢の脱力や直腸膀胱障害になれば、即手術”とB医師に言われていたので、その事が心配でした。 この痛みからいつ解放されるのだろうか、回復後も足を引きずるようなことがないのか、体の歪みが元に戻るのか、筋肉が落ち細くなった足をみて先の見えない不安と絶望感を感じる毎日でした。 弱音を吐いた時に喜多先生から、根性で治せと言われその言葉をよく唱え支えになりました。

その後、次第に勾配は穏やかながら痛みは軽減し、活動時間も増えてきましたが痛みへの恐怖心から常に不安があり、神経質だと思われるかもしれませんが、いつもより少しでも異なる痛みがあったり負担がかかると、心配をつのらせる毎日を送っています。 寝たきりの時も辛かったけど、動ける様になっても辛いのです。

喜多先生、スタッフの皆さんには私の不安や心配事を聞いていただき、受診の度に闘病ストレスから解放され前向きになれた様に思います。

また、数ヶ月の寝たきり生活では、夫には、毎日、食事や風呂の介助や通院の送り迎えをしてもらい、親や義姉には子供の面倒と私の身の回りの世話をしてもらい、周りの協力なくして成り立ちませんでした。 寝たきり生活ができた環境に感謝しています。

ある日の通院の途中に、夫に寝たきりになって不幸だと言ったら、周りに助けてくれる人がいて、身を任せられる医師にも巡り会え、回復に向かっているのに不幸と感じることが不幸だと叱られた事を、今振り返りながら思い出しました。

もっと早く先生にお世話になっていたら、こんなに痛い思いをしなくて済んだかもしれませんが、これも運命だと思い健康に気をつけるきっかけになりました。 今は、食事にも気を使い毎日欠かさず喜多クリニックで教わった体操をする習慣がつき、先日受けた健康診断では以前高かった数値が正常値になりました。 椎間板ヘルニアのよき副産物です。

病気なんて自分には無縁と思っていましたが、病は突然襲いかかり不安と絶望の淵に落し入れます。 そして病で辛くてもしなくてはならないのは、能動的に医師の選択、治療方法の選択。 それは、病気で弱っている自分には大変難しく困難だったと思います。 また、生死にかかわる病気ではなくても、心を強くもたないと闘病はできないと思いました。

今も腰の痛みは少しありますが、日常生活を取り戻しました。 当たり前の日常に感謝し、健康の大切さを知り、家族や人のつながりに感謝し、これからの人生を健康に有意義に生きることが出来ればと思っています。